🪵 手に持つと、ずっしり。水大ラグビー部シリーズ再編集版。

縦書きの聖書サイズ(A5判)で出していた3冊を、横書きの大学ノートサイズ(B5判)に再編集して、Kindleのペーパーバックとして製本しました。

120ページ。 ゆったりしていて、ずいぶん読みやすくなりました。

手に持つと、ずっしり。

心の奥にずっとモヤっとしていたものが、ようやく形になった気がします。

ホッとしたのも束の間――

今度は築地で原料マグロのブローカーを始めて、ふとした流れで紛れ込んだ、新宿ゴールデン街の酔っ払い軍団が作った ラグビークラブチームの話を紡ぎたくなってきました。

水大ラグビー部シリーズは、三年近くかかりました。

次も、まあ気長にやろうと思います。

人生は、いつだって網渡り。 書くことも、きっとそう。

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🌅 朝の始まりと、心の奥のざわめき

朝、目覚てからすぐにコーヒー豆を挽いて、注ぐと黒猫が全身花柄になるコーヒーカップに並々とコーヒーを満して、啜る。

いろんなことを始めよう、手をつけようと、はやる心の隅っこにある、昨晩のほろ苦い別れ。まるで啜っているコーヒーのようだ。

始まるものすべて終りがある。

熱中することには、倦きることがついて回わる。

でもこのひとときは、静かに余韻にひたりたい。

朝のコーヒーの湯気の向こうに、昨晩の余韻がまだ揺れている。

🎴 G (爺ィ)の妄想と徘徊

日々の散歩で拾ったこと、ふと浮かんだ妄想、朝のノートに書き散らした言葉たち。

ここは、そんな“爺ィの徘徊ログ”を置いていく場所。

形になる前の創作の種、どこにも行き場のない思いつき、人生の寄り道で拾った小さな光。

赤パン33ドットコム (akapan33.com) が“作品の本丸”なら、ここは“裏庭”。

気楽に歩き回りながら、妄想を育てていく。

🏉 ボールを持ったら、とにかく突っ込む。  

ちょっと凸してブレイクダウン。  倒れても、すぐ次のボールを探している。

昨晩ふと気づいた。  Kindle出版に夢中になっているあいだ、  「赤パン33ドットコム」がすっかり放ったらかしだった。

これはいかん。 そろそろ活性化、リニューアルの時期じゃないか。  

そう思った瞬間、また一つボールを握りしめて走り出していた。

私は生涯フランカー。 

人生でもラグビーでも、スタンドオフもフルバックもやらずに終わりそうだ。  

でもまあ、こんな人生も捨てたもんじゃない。  むしろ、これでいいと思っている。

🪴 退化とカオスと、ちょっとした進歩

今日は午前中ずっと、Kindle出版のバランスシートを

Excelで作っていた。

WINマシンはほとんど使わない。

三年前、マンションの理事になって会計を担当したとき、

Excelが必須で、それだけのために買ったようなものだ。

最近はほぼ眠っていた。

使わないものは退化する。

これはもう、真理だ。

いい機会だと思って我慢して続けていたが、

途中で見事にギブアップ。

A1君に相談して、Googleスプレッドシートに乗り換えることにした。

何をやるにも、いつもこうだ。

まっすぐ行けず、途中で迷い、寄り道し、

気づけばカオスのど真ん中にいる。

でもまあ、今回も楽しむよ、このカオスを。

混乱の中に、ちょっとした進歩が潜んでいることを

最近ようやく知ったから。

🍃 パエリア

冷凍庫の奥で、パエリアの具がずっと出番を待っていた。

エビ、ムール貝、イカ、アサリ。

そこに家内がピーマンとホウレン草を加えて、フライパンで仕上げてくれた。

飲み物は、いつものコンビニで買う一番安い赤ワイン。

それでも、日曜のけだるい昼には十分すぎるごちそうだった。

フライパンごとテーブルに置いて、ふたりで全部平らげた。

その瞬間、至福がやってきた。

今日はもう出かけず、TVでラグビーのリーグワンを観ながらのんびり過ごす。

平日夕方の立ち仕事と、3年越しのKindle本づくりからようやく解放されたからだろう、

また自分もラグビーをプレーしてみようかという気持ちが、少しだけふくらんだ。

そういえば、練習に行ったときは15分で脹脛が爆裂して、

帰りの地下鉄の階段を降りるのに手すりにしがみつくしかなかった。

あの頃は脚が常に張りつめていて、練習に行く気力も体力も削られていた。

でも今は、その苦行からようやく解放された。

回復力も、またゆっくり戻ってくる気がしている。

日曜のビッグランチが、そんな気持ちをそっと後押ししてくれた。

🖋️ 青春スポーツノンフィクションだよ

学生時代のエピソードを、とりとめもなく書き留めていた。

平日の夕方だけ働くようになってから、それらを時系列に並べて、小冊子にして、次のラグビー部OB会に持っていこう。

ちょっと自慢して、来てくれた人に配ろう。

そんな、ささやかな老後の楽しみとして、コツコツ作業を続けていた。

大学1年の夏休みに帰省するところまで、なんとかまとめた。

それだけで40ページになってしまい、小冊子にしたら力尽きてしまって、そのまま机の上で眠らせていた。

しばらくして、社会人になってから入ったクラブチームの集まりに久しぶりに顔を出したとき、この小冊子を配って読んでもらったら、思いがけず好評だった。

それがうれしくて、「じゃあ大学4年間を早く仕上げよう」と書き進め、書き終えたら、今度はこのクラブチームのことも書きたくなった。

“自分が読みたいと思う本を作ればいいんだな”。

そう思うようになってから、大学4年間の思い出は、気づけば3冊の小冊子になっていた。

そして、それをもとにして、一冊の青春スポーツノンフィクションができてしまった。

あれこれ考えすぎるから、歩みが止まってしまうんだ。

昔からのモットーでいけばいい。

「ボールを持ったらとにかく突っこむ」。

こけたら、また立てばいい。

🎴 岩と海底

鬼滅の刃の終盤で、主人公が修業の締めに大きな岩を動かそうと奮戦する場面がある。

その情景が、ずっと心の奥底にじっとしていた。

最近になって、そのひとコマがくっきり浮かび上がってきた。

何度もこういう状態になったことがある。

五十歳の時、一度大きく海底に沈みこんでからは、すっかり忘れていた感覚だった。

高揚感が少しずつ熱を帯びる反面、また近いうちに海底まで沈みこむのではないかという予感も強くなる。

人生はいつだって網渡りだ。

岩を押すように、沈むように、浮かぶように。

その繰り返しの中で、今日もまた一歩を踏み出している。

🎨 書くことと描くこと

最近は、妄想を書きなぐることに夢中になっている。

そのせいで、楽書きはすっかり描かなくなった。

思えば最初は、4Bの鉛筆を買ってきて、身近なものを描いていた。

やっていれば、それなりに自分の色が出て、まあまあ味のあるものになっていく。

やがて100円ショップで水彩絵の具を買い、風景画を描くようになった。

小学校や中学校の美術の教室に戻ったような気分だった。

それでも物足りなくなって、大手通信教育の水彩画講座を受講した。

課題を全部提出し、成果を発揮して、自伝的小説の挿絵を描き始めた。

けれども迫力が足りず、スナップ写真をイラスト化するサイトを使ったり、AI君に頼んだりしているうちに、描くことはすっぱりやらなくなってしまった。

今はKindle出版が一段落したので、書くことを少し休んで、来年はまた楽書きを描こうと思っている。

夢中になるから飽きる。

飽きるから夢中になる。

りんねは続いていく。

🪷 窓ふきの記憶

今年もあと二週間。

数年前の年末、ベランダのサッシを雑巾で拭いたら、汚れがよく落ちた。嬉しくなって、丸二日間、そればかりに没頭した。

大晦日の夕方、右肩の筋肉がうなりはじめた。

元日の朝には腕が動かなくなり、寝返りもできず、半身を起こすこともできなかった。病院も薬局も閉まっていて、二日間、寝床でじっとしていた。

三日の朝、ようやく開いた薬局で筋肉痛と神経痛に効く薬を飲んだら、一発でよくなった。自然回復だったのかもしれない。けれども、その苦しみは身体に刻まれている。

それ以来、十二月の中旬になると少しずつ窓をきれいにして、年末は本を読んで静かに過ごすようになった。

忠臣蔵の討ち入りが終わる頃になると、あの年末年始の苦しみを思い出す。痛みもまた、季節の合図になっている。