昭和33年の春、私は築地産院で生まれた。
南砂町の都営アパートから、母はバスに揺られて築地まで通っていたという。
いま思えば、あの頃の南砂町は“世界の原風景”だった。
アパートの前には運河が流れ、
その向こうには大きな工場が煙を上げていた。
明治通りにはチンチン電車が走り、
裏手には貨物線がひっそりと延びていた。
線路脇にはタンポポが群れ咲き、
つくしがにょきりと顔を出していた。
風呂のないアパートで、銭湯が日常だった。
母に連れられて入る女湯。
風呂上がりに飲むピンク色やオレンジ色のジュース。
あの甘さは、いまでも胸の奥にふっと灯る。
大学を出て水産商社に入り、
配達で南砂町を再び訪れたとき、
運河は埋め立てられ、工場は宅配センターに変わっていた。
街はすっかり姿を変えていたが、
貨物線だけは昔のまま、静かに残っていた。
あの線路を見るたびに思う。
自分の“青春の地層”は、ここから始まったのだと。
今日から、この原風景を入口にして、
少しずつ、自分の地層を掘り起こしていこうと思う。
