🪵 G(爺ィ)の徘徊について

気がつけば、朝のこと、昔のこと、ラグビーのこと、ちょっとした気づきや、どうでもいいような独り言をあちこち歩きながら拾っている自分がいます。

これまでは「妄想」という名前の棚に置いていましたが、
最近の文章はどうも、頭の中だけではなく、
足で歩きながら拾ってきた“徘徊の言葉”に近いようです。

目的もなく、寄り道しながら、
気になったものをそっと拾ってくる。
そんな歩き方のほうが、今の自分にはしっくりきます。

というわけで、次の記事から
この棚の名前を 「G(爺ィ)の徘徊」 とします。

過去の記事はそのまま残します。
あの頃の“わざとらしさ”も含めて、
裏庭の地層として静かに置いておきたいからです。

これからも、徘徊しながら拾った言葉を
ぽつりぽつりと置いていきます。

🎴 G (爺ィ)の妄想と徘徊

日々の散歩で拾ったこと、ふと浮かんだ妄想、朝のノートに書き散らした言葉たち。

ここは、そんな“爺ィの徘徊ログ”を置いていく場所。

形になる前の創作の種、どこにも行き場のない思いつき、人生の寄り道で拾った小さな光。

赤パン33ドットコム (akapan33.com) が“作品の本丸”なら、ここは“裏庭”。

気楽に歩き回りながら、妄想を育てていく。

蒲田〜こだわりの豆、街、人生 その2

――京急とJRの狭間にある、甘納豆の聖地へ――

担々麺で身体が温まったところで、

ゲンちゃんと連れ立って、京急とJRの蒲田駅のちょうど中間あたりへ向かった。

この界隈は、昼下がりになると人通りがゆるやかになり、

街の音が少しだけ柔らかくなる。

その静けさの中に、昔から変わらない甘納豆屋さんがある。

店主は、私の高校の一年先輩。

蒲田を紹介するテレビ番組には必ず登場する名店で、

看板商品の「高原花豆」は、ヒロミさんをはじめ多くのメディアで絶賛されている。

店の前に立つと、

甘納豆のやさしい香りがふわりと漂ってくる。

この匂いを嗅ぐと、

「蒲田に来たな」と実感する。

◆ ◆ 先輩の店に顔を出すという、小さな儀式

蒲田に来たら、ここに寄らずには帰れない。

先輩はいつもの笑顔で迎えてくれた。

今日は、

Kindle本の『隅田川の怪物』と

『水大ラグビー部の伝説』を手土産に持参した。

「お前、また本出したのか」

と笑いながら、

先輩は本を手に取り、表紙をじっと眺めてくれた。

こういう瞬間が、

歳を重ねるほどに沁みる。

◆ ◆ 甘納豆の箱詰めと、思いがけない“お返し”

お使い物として、

二千円の箱詰めをひとつ購入した。

すると先輩は、

「ほら、これも持ってけ」

と言って、

同じ量の小袋をそっと袋に入れてくれた。

こういう“江戸っ子の気風”みたいなやり取りが、

蒲田にはまだ残っている。

甘納豆の袋を手に、

ゲンちゃんと並んで商店街を歩くと、

午後の光が少しだけ黄金色に見えた。

我慢出来ずにすぐ小袋をひとつ開けて食べました。

◆ ◆ 今日の徘徊の結び

担々麺の辛さと、甘納豆のやさしさ。

その間に流れる、ゆるやかな蒲田の時間。

**G(爺ィ)の徘徊は、

結局のところ“人に会いに行く旅”なんだ、

今日あらためて思った。

蒲田〜こだわりの豆、街、人生 その1

――平日の昼下がり、地下鉄はガラガラ、胃袋は正直――

平日の昼下がり。

都心の喧騒から少し外れた時間帯の地下鉄は、まるで別世界のように静かだった。

吊り革も座席も空いていて、車内の空気にどこか“余白”がある。

こんな時間に動けるようになったのも、長い人生のご褒美みたいなものだ。

今日は息子のゲンちゃんと蒲田へ。

目的はただひとつ――パンダの担々麺。

駅前の商店街を抜けると、赤い看板とパンダのイラストが目に飛び込んでくる。

昭和の香りを残した雑多な街並みに、妙にしっくり馴染んでいる。

店先には、夜の部の居酒屋メニューの貼り紙。

激辛ラー油の瓶がテーブルに鎮座し、

「挑戦するなら覚悟しろよ」と言わんばかりの存在感を放っている。

◆ ◆ パンダの担々麺は“街の味”だった

注文して数分。

湯気をまとった担々麺が、どん、と目の前に置かれる。

  • 濃厚なスープ
  • 自家製麺のコシ
  • 半熟卵の鮮やかな黄身
  • 青菜の香り
  • そして、激辛ラー油の誘惑

レンゲを入れた瞬間、

「これは当たりだ」と直感した。

ゲンちゃんは黙々と麺をすすり、

私は写真を撮りながら、

「この瞬間を“徘徊記録”に残さねば」と妙な使命感に駆られていた。

◆ ◆ 平日の空白時間に漂う“自由”

外に出ると、商店街は相変わらずゆるい空気。

サラリーマンの姿は少なく、

買い物帰りの人たちがのんびり歩いている。

この“空白の時間”に街を歩くと、

若い頃には見えなかったものが見えてくる。

  • 店の前に立つパンダの置物
  • 風に揺れるメニューの旗
  • 昼下がりの光に照らされたラーメン鉢
  • そして、ゲンちゃんの至福の横顔

人生の後半戦に入ると、

こういう何気ない景色が、妙に胸に沁みる。

◆ ◆ 今日の徘徊の結論

パンダの担々麺は、味だけじゃなく“時間の味”がした。

平日の昼下がりに、息子と食べる一杯。

それだけで、人生は少し豊かになる。

『隅田川の怪物』Kindle版を公開しました

当WEBサイトの連載カテゴリ「魚河岸なにがし」をもとに、

築地で働いた若い日の記憶を再編集し、

一冊の Kindle 本としてまとめました。

潮風と生臭い作業服の匂い、

勝鬨橋の朝と夕暮れ、

セリ場の喧騒、

そして “あの人たち” の背中。

あの頃の身体感覚と、

今の自分の視点を重ねながら、

静かに編み直した一冊です。

よろしければご覧ください。


→ Kindle版はこちら

マグロのカマとロゼワインの夜

バイトの帰り道、スーパーの鮮魚売り場でマグロのカマを見つけた。

懐かしさが胸に立ち上がり、そのまま買い物かごへ。

「焼いて晩酌のおつまみにしようよ」と家内に言うと、

最初はグリルの後片付けが大変だからと渋っていた。

でも、冷蔵庫にロゼワインがあったのを思い出したらしく、

「じゃあ焼こうか」と手を動かしてくれた。

カマ下の大トロはもちろん、

血合いのほろほろしたところも実にうまい。

ロゼを二杯ほど飲んだあと、家内にワインを任せて、

自分は日本酒へと切り替えた。

微睡んでいると、

だんだんと身体が“築地の魚河岸小僧”に戻っていく。

土曜日は水揚げや検品がなければ、

セリ場の仕事が片付くと昼で上がれた。

その足で知り合いのマグロ仲買の大番頭のところへ行き、

「今日は二千円分ちょうだい」と言って

冷凍大鉢マグロのブロックを分けてもらう。

仲卸の店舗には、

巨木を切るような解体機が据えられていて、

その周りには切り落とされたカマがいくつも転がっていた。

まとめて業者が引き取りに来るから、

誰も気に留めない。

だから、いくつか一緒にもらって帰った。

家に戻って身を外し、

残った部分を焼いて晩酌のつまみにする。

あの頃は、それが当たり前だった。

ウトウトしてたら、

 「どうぞ、おカマいなく」

マグロのカマさんがそう囁いた気がした。

両足の靴下に大穴があいた朝

昨日バイトからの帰り道。なんかつま先がスウスウした。

自宅に帰ってから、玄関で靴を脱いで足の裏を見た。

そしたら靴下の両足の爪先に大きな穴が空いていた。

今まで、左膝が悪いので、左脚を庇って歩いていた。

だから右の靴下の踵の外側に穴が開くので、左の靴下ばかり残ってしまっていた。

今回、両足のつま先の均等な大きな穴を見て、大地を足の指でしっかり踏み締めて歩き出したのを実感した。凄く嬉しくなってきた。

なんか、70歳にもうすぐなるというのに、幼児に戻った感じ。

歩き方が変われば、爺ィの徘徊 もこれからもっと楽しくなるぞ。

楽しくなれば徘徊する時間も長くなる。

カロリー消費も増える。

痩せる。

良いことづくしでチョッピリ嬉しくなって来た。

大雪の翌日の長閑な(のどかな)徘徊

🌿  その1— 冬の残像と、すぐ近くにいる春

昨日は日中に気温が1℃しか上がりませんでした。そして昼過ぎまで雪が降っていました。

仕事もなく、のんびりしてたのでお昼過ぎにのんびりと徘徊しました。

風もなく、気温も10℃近くになりダラダラと河川敷を歩きました。

途中で昨日の雪だるまの崩れたのが土手に転がっていました。そしてすぐ近くの枝には春の蕾。

冬と春が仲良く並んでいます。徘徊してるとこんな季節の狭間が見えてくることがある。

季節は、いつも静かに次のページをめくってる。

🔥  その2— 見慣れた水門のいろんな表情

毎日、眺めている今井水門なんですが、子供頃の「足立のお化け煙突」みたいに今井水門を、近く・遠く・斜めから一眼レフのファインダー越しにみてたら、いろんな表情がありました。

鉄の質感、影の落ち方、空の青さ。スマホでは撮れない奥行きが浮き出てきます。

いつも見慣れた場所ほど、まだ見ぬ表情を隠しているんだなあ。

🌊 その3— 江戸川のユーモア、大和とゴジラ

橋の上から、二隻並んだ屋形船を無造作に撮ったんです。ですが良く船名を見てみたら、“大和”と“ゴジラ”。

このネーミング、不揃いの林檎みたいで妙に心がくすぐられました。

いつもぶらぶら何気なく歩いてるこの界隈なんですが、こんなゆるい笑いが隠れているとは思いませんでした。

徘徊していると、生活の中の小さな笑いに出会える。

だから、徘徊はやめられない。

徘徊の相棒、爆誕す

去年までやっていた平日の夕方のアルバイト。

午後三時頃、職場へ向かう途中に必ず寄り道していた場所がある。

東郷公園の桜だ。

毎日、同じ時間に同じ場所へ行き、

蕾のふくらみ、枝の色、光の角度を確かめる。

誰に頼まれたわけでもないのに続けていた“定点観察”。

あれは、仕事へ向かう前の小さな自由であり、

自分だけの春の儀式だった。

ところが、東郷公園の上段が工事に入り、

桜の観察地図が途切れた。

その年の春、私は九段下で途中下車し、

千鳥ヶ淵の水辺の桜を追いかけることにした。

そのとき、ふと思った。

——一眼レフで撮りたい。

勢いでAmazonを開き、

気に入った機種をポチった。

これで今年の桜は、もっと鮮やかに残せる。

そう思っていた。

ところが、荷物は届かなかった。

不在票もない。メールもない。

マンションの宅配ロッカーにも入っていない。

配送業者は「行方不明」と言い、

結局キャンセルして返金された。

花見の撮影計画はおじゃんになった。

春の勢いが、そこで一度しぼんだ。

——ところが。

数日後、突然荷物が出てきた。宅配ロッカーに入れっぱなしだったのだ。

まるで“戻るべき場所を思い出した”みたいに。

私は再びカード決済をして、

その一眼レフを手にした。

だが、気抜けしてしまい、

カメラはしばらく放置された。

いわくつきの一眼レフ。

ただの道具ではなく、

どこか“物語を背負って戻ってきた相棒”のようだった。

そして今、

私は再び徘徊を始めようとしている。

春の手前で、静かに光を待ちながら。


茶色のボディの凄い奴。。。

新しいカテゴリ作りました。

ここ数日、徘徊を続けていたら、

気づけば「昭和の終わり」をめぐるフォトエッセイがひとつの形になりました。

せっかくなので、この連作を

『魚河岸なにがし』

という名前でひとつのカテゴリにまとめています。

これは新しい挑戦ではなく、

長い時間をかけて書き続けてきた断片が、

ようやく“居場所”を得たというだけの話です。

これからも、徘徊の途中で拾った記憶や風景を、

静かに物語へと編んでいけたらと思っています。

興味のある方は、そっと覗いてみてください。

プロローグ:東都水ビル6階からの眺望

市場の曲線に沿って並ぶトラックと、有楽町へ続く街並み。

私の朝は、東都水ビル6階の事務所から、この「巨大な生き物」の目覚めを見下ろすことから始まりました。

ここは、世界中の海から届く原料マグロの相場を動かす、戦いの最前線でした。

波除さんの斜向かい、海幸橋を渡ると築地場内。

橋の上には七味屋がぽつんと店を構え、隣には宝くじの売り場。

その向かいのビルには立体駐車場があり、私はそこに乗用車で通っていました。

始発電車ではセリに間に合わない。

だから車で来るしかなかった。

午前5時半のセリ開始に間に合わせるには、

市場の空気がまだ凍っている時間帯に、

この街に滑り込む必要があったのです。

海幸橋の欄干に手をかけながら、

場内の灯りがじわじわと点いていくのを見ていたこともあります。

七味屋の前を通ると、香りが鼻先をくすぐり、

宝くじ売り場のシャッターがまだ閉まっているのを横目に、

私は築地の“裏口”から市場の心臓部へと入っていく。

この街は、

眠っているようで、

実は誰よりも早く目を覚ましている。

そしてその目覚めに、

私は毎朝、立ち会っていたのです。


…そしてその目覚めに、私は毎朝、立ち会っていたのです。
(写真:築地の朝、東都水ビルより)

第一章:氷霧の中に響く「声」

現在はトラック搬入が主体となったが、

かつては岸壁に横付けされた船が、

まるで巨大な胃袋のように市場へ海の恵みを吐き出していた。

汐留から引き込まれた鮮魚列車のホームも、

まだ夜が明けきらぬ時間に、

鉄の車輪の音を響かせながら市場の裏手に滑り込んでいた。

夜中のうちに保冷車へ積み込まれた冷凍マグロは、

セリの時間に間に合うように一本ずつ下ろされ、

セリ場の床に整然と並べられる。

仲買人たちは懐中電灯で尾の断面を照らし、

脂の乗り具合を見極める。

その目は真剣で、声は短く、動きには迷いがない。

この空間には、

「魚を見ている」のではなく「値を見ている」

という緊張感が漂っていた。

午前5時30分、セリが始まる。

マイナス60度で凍りついた巨体から立ち昇る白い霧が、

セリ場を幻想的でありながら冷徹な空気で包み込む。

霧の向こうから聞こえてくるのは、

仲買人たちの短く鋭い掛け声、

セリ人の抑揚のある声、

そしてフォークリフトの警告音。

そのすべてが、

「命の値段」を決める音として響いていた。

セリが終わると、

フォークリフトが一斉に動き出す。

霧の中を縫うように走り、

セリ落とされたマグロを次々と運んでいく。

その様子は、

まるで市場という巨大な生き物の血流のようだった。

<MEMO>

築地では尻尾に小さく切り返しを入れて身質を読むが、三崎では尻尾を丸ごと切り落として検品する。
加工場向けのランク分けには三崎方式が向いている。