わっぱの話は尽きない

昨日の話を書いたあと、

過去記事を眺めていたら、反射的にポチしていた。

そして今朝、もう届いた。

これはもう、密集にすぐ駆けつける右フランカーの動きそのもの。

生活の密集に飛び込んで、

ちゃんと“わっぱ”というボールを持って帰ってきた。

前に使っていた漆塗りのわっぱは、

「すぐ洗う・すぐ乾かす」を怠ったせいで、

縁の塗料が剥げたところにカビが生えてしまい、

泣く泣く手放した。

だから今回は、白木のものを選んだ。

食べ終えたら、さっと水洗いして、

すぐに水分を拭き取るつもりだ。

身体も、そして“ちょっといいモノ”も、

使いっぱなしにせず、ちゃんとケアしていく。

それが爺ィ流の、ささやかな日々是幸日。

わっぱ弁当の話

わっぱ弁当というのは、不思議なもので、  

ただご飯を詰めるだけなのに、  

なぜか“ちょっといいモノ”を扱っている気分になる。

木の香り、手触り、  

そしてフタを開けたときの、あの柔らかい空気。  

プラスチックの弁当箱では出ない“余白”がある。

昔、わっぱ弁当に凝って、  

写真を撮ったり、アプリまで作って遊んでいた時期があった。  

今見ると、どれも少し色あせているのに、  

妙に愛おしい。  

あの頃の自分が、そこにちゃんといる。

わっぱは、詰める人の気分がそのまま出る。  

丁寧に詰めてもいいし、  

残り物をポンと入れても、それなりに形になる。  

“ちょっといいモノ”というのは、  

そういう余裕のある道具のことだと思う。

また弁当生活が始まりそうなので、  

久しぶりにわっぱを新調してみるのも悪くない。  

どうせなら、また写真を撮って、  

“わっぱ弁当図鑑”でも復活させてみようか。

やりようで、工夫しだいで、  

楽しみはいつでも戻ってくる。

当時のわっぱ弁当

ためしに昔の記事を探してみたら、  

まるで呼ばれたように、すぐに出てきた。  https://gengen33.com/cho/archives/1150

こういうのを爺ィは「予定調和」と呼んでいる。  

時間の輪が、また静かに閉じた気がした。

300日目の朝は「日々是幸日」

今日から爺ィは週4日のユルいアルバイト生活に突入する。  

いわば“仕事始め”である。

で、いつものようにモーニングノートを書き捨てようとしたら、  

なんと今日が 300日目 だった。  

まさかのジャストミート。  

偶然のようで、どこか予定調和めいた朝である。

こういう日は、  

爺ィとしては 「日々是幸日(ひびこれこうじつ)」 と言いたくなる。  

本来は禅語の「日々是好日」だが、  

爺ィ流に“幸”を当ててみただけの、  

ちょっとした言葉遊びである。  

だが、こういう遊びがしっくり来る朝なのだ。

思えばこのノート、最初はただの妄想ノートだった。  

つらつら書いていたら、いつの間にか300日。  

よく続いたもんだと、我ながら感心する。

最近は、大好きな漫画「ひらやすみ」テイストで、  

まったり過ごすのが爺ィの流儀になってきている。  

今日も「つつつつつうう〜」と口ずさみながら、  

新しい仕事に向かうとしよう。

日々是幸日。  

そんな気分で始まる300日目の朝である。

パッションだろパッション

朝が目が覚めた時にいろいろなことが思い浮かんできた。

最近はそれで目がさえてしまい、ゴソゴソと起きだして、あれこれ

始める事が多くなっている。

今日のタイトルは、何かのパクリみたいなフレーズだ。

20代に仕事の合い間に草ラグビーにハマって、練習や試合のあとに居酒屋を何軒もはしごして、黙ってみんなの話を興味深く聞いていたときに、いつも彫刻家の方に言われたフレーズだ。

感情をもっと外に出していいんだよって、エールを送りつづけてくれていたんだなあ。

今になってそのことに気づいても、もう会うこともできないのだけど。

けれど。。

そんな想いもあって、目が覚めた時からなんかゴソゴソしちゃうんです。

あの頃はわからなかった言葉が、
今になってようやく胸の奥で響き始めている。

だからなのか、
朝の静けさの中でふっと目が覚めると、
身体が勝手に動き出す。

パッションだろ、パッション。

あの人の声が、まだどこかで聞こえている気がする。

寒いですねぇ

年の始めの連休。この時期に大学共通一次試験があるのだけれど、 
毎年のように大雪になっている気がする。

気になって調べてみたら、今年の試験は来週末だった。 
どうりで今日は静かなわけだ。

明日と明後日は寒くなりそうなので、 
今日のうちに用事を済ませておこうと思う。

この連休で、赤パン33ドットコムの「オールバッカス物語」第2話のアップと、 

gengen33.com のコンテンツのかさ増しも進めたい。

群れの先頭を、悠然と

検索をした時に上位の5番目くらいまでに入らないとそのサイトはアクセスされないですよね。

私は還暦過ぎてプレーしてる赤パンラガーなんですが、「赤パン」と検索しても巣鴨の下着屋さんや著名通販サイトが出てきて私のWEBサイトは出てきません。

けれども「赤パン33」で検索すると私のWEBサイトが上位を独占するのです。今のところその恩恵に預かることは全くないのですが、群れの先頭を泳ぐことはとても重要だと思います。

私は50歳まで30年近く原料マグロのブローカーをしておりましたが、冷凍マグロ漁船の入札で落札したり一船買いで買い付けして、水揚げに立ち会うと漁獲物には漁期と漁場別に色分けしてテープを尻尾のところのロープに付けてあるのです。

マグロはコロっと太ったものが脂(あぶら)がのっていてトロの部分が多いのでセリにかけると高値がつきます。ですから海水温が低いところにいて、産卵前にたくさん餌を食べているマグロはいいのです。

岸壁で水揚げの時に魚倉からクレーンで吊り上げてトラックに積み込むときに大雑把に脂のありそうなマグロを選別して積み込むこともありますが、同じ色のテープのマグロをランダムに市場に出荷して一本づつセリにかけるとキロ単価数千円から数百円まで一本づつ値段が違うんですよ。

要は群れの先頭をいつも泳いでるマグロは、当時は「アニキ」と云ってましたが、餌も最初にたくさん食べているのでますます元気になってセリでも高値のつくいいマグロになるのです。

私はラグビーは大学生の時に始めて3回くらい引退・再デビューを繰り返しておりますが、最後くらいは群れの先頭を悠然と泳ぐ「アニキ」になりたいと思っているのです。

大島のこと(イントロ)

昨日は三宅島のことを書いたから、今日は大島のことを思い出している。

三宅島は、中学を卒業する時に家族が引っ越し、
私は全寮制の高校に入ったので、
思い出といえば夏休みと年末年始の記憶が中心だ。

大島には、小学校2年生から中学を卒業するまで住んでいた。
だから、あの島の記憶はもっと濃い。
残念ながら卒業してから一度も行っていないが、
いつか必ず訪れたい場所だ。
これからの俳徊地としても、何度も登場するだろう。

昨年12月中旬まで、ずっと下関の大学生活を kindle本にまとめていた。
今いちばん行きたいのは下関。
その次に行きたいのが、大島だ。

G(爺ィ)が徘徊したい場所は、まだまだたくさんある。

三宅島一周

朝、ふっと目が覚めたときに、  

三宅島を一周した正月のことを思い出した。

独身の頃は、毎年のように三宅島の実家へ帰省していた。  

30歳の正月、何か記念になることをしたくて、  

思いつきで島を一周してみようと思ったのだ。

三宅島は、伊豆七島の中で大島と八丈島のあいだにある島。  

お椀を伏せたような丸い形で、  

海沿いに集落が点々と続き、  

それらをつなぐ一周30kmの道路がある。  

右に走り出せば、左から帰ってくる——  

そんな単純で、気持ちのいい島だ。

朝8時に出発して、  

帰ってきたら風呂に入って、  

大学ラグビー選手権の準決勝をのんびり観よう。  

そんな算段だったから、あれは1月2日だったのだろう。

高校時代は運動が嫌いだった。  

けれど三年間の寮生活で、体力はいつの間にか人並みに戻り、  

大学ではラグビーを始めた。  

一年生の夏休みには、もっと走れるようになりたくて、  

朝は右へ3km、夕方は左へ3km、  

毎日コツコツ走っていた。

社会人になってからも、  

日曜日はクラブチームでラグビー。  

出張がない日は、夕方に走るか、ジムで泳いでいた。

そんな生活だったから、  

30歳の三宅島一周も“軽く3時間くらいだろう”と踏んでいた。  

ところが準備不足の思いつきランは甘くなく、  

最後の数キロは脚が動かず、  

立ち止まり、歩き、また走り、  

ヘロヘロになって家に戻った。

風呂に入っていたら、  

もう大学ラグビー準決勝の第一試合が始まっていた。  

予定は大幅に狂ったが、  

それもまた、あの頃の自分らしい。

思いついたらすぐ動いてしまう性癖は、  

あれから40年近く経った今も、  

どうやら治っていない。

今朝ふとよみがえった、  

30歳の正月の記憶。  

懐かしくて、少しだけ胸が温かくなった。

記憶も整理

昨日は、1日がかりで押し入れの整理をした。
ホコリをたくさん吸いこんでしまって大変だったけれど、
思い切って中のものを全部出してみた。

プレイステーション初期型、ゲームキューブとそのソフト類。
玄箱などの外付けハードディスク。
家族のアルバム、レーザーディスク(マドンナのライブもあった)。
着なくなった衣類、息子に買ってあげた電子ブロック……。

どれも今は使わなくなったり、着なくなったりしたものばかり。
それでも結局、あまり捨てることができず、
そっと元の場所に戻すことになった。

思い出はちゃんと心の中に置いてあるから、
しっかり整理しようと思っているのに、
なかなか手放せないものだなあ。

初競り

1月5日といえば初競り。

50歳でサカナの仕事を辞めるまでは、買い付けで地方に行かないと毎朝、築地市場でセリ場に立っていた。 
ただカカシみたいに立っていたわけじゃない。 
築地場外の業者としてセリ帽(監札)も持ち、冷凍マグロを出荷してセリにかけたり、 
切身(弁当給食用)やネギトロの原料になるマグロ(単価は安いけれど)を、 
片手で颯爽とセリ落としていた。

今は豊洲に移転したけれど、初セリは30年近く見てきた。 
バブル絶頂の頃には、セリ上がって、セリ値10万円(キロ単価)になった本鮪が出たこともある。

あれからもう20年近く経つんだなあ。 
もう初セリの場に立つことはないけれど、 
行けなくても、心の奥にしっかり眠っているものって、 
たくさんあるんだ。