復元されるのは映像か、俺か

試合でキレキレに動いていた頃のVHSビデオを、動画ファイルに変換したものがある。 
20代の自分が映っていて、セピア色の映像がなんとも言えない哀愁を帯びている。

それはそれで素敵なのだけれど、 
最新の動画復元ソフトで蘇らせたら、どれだけ鮮やかになるのか。 
その瞬間を、この目で確かめたくなった。

というわけで、動画編集ソフトをポチッとした。 
ただしこれはWindows専用。 
いままでMacしか使ってこなかった自分には、まさにドロ縄だ。

ガイドブックも付いてくるらしいが、 
作業用フォルダをMacとWinで連動させる必要がある。 
朝から退化気味の前頭葉をフル回転させなきゃならない。

あーあ、今日も前頭葉の筋トレでクタクタだよ。

草ラグビーの練習も今年から再開したいのに、 
身体のウォームアップをする時間がない。

でもまあ、これはこれで、 
ちょっと嬉しい贅沢な悩みだ。

楽若備(ラグビー)だもん

家族は出かけて、ひとり留守番。
年末から外に出ず、ずっと魚河岸小僧だった頃の記憶の海を泳いでいる。

高校3年生の体育でラグビーに出会ったのが18歳。
今年68歳になる自分が、70歳以上の草ラグビーのチームの予備軍として、
コロナ以降にサボっていた活動を再開しようとしている。

熱中したり、飽きて放置したり。
それでも50年も関わり続けているのだから、不思議なものだ。

楽しい時も、苦しい時も、受け入れていくよ。

だってだって、楽若備(ラグビー)だもん。

消しゴムマジック

今、夢中になって昭和55年に大学を卒業して、築地で働き出した時のことを、思い出しながら物語りを紡いでいます。

今年から、かなり時間も取れるようになつたので、去年仕上げたシリーズ物「水大ラグビー部」の第2弾にしたいのです。

今回は、WEBサイトで連載しようとせっせと準備してますが、記事一覧に表示されるタイトルの脇の画像に拘っちゃって早速使ってみました。当時の試合用のジャージをクリーンニングして、保存してあるものが押入れの中にあったんですわ。これはええと、使おうとしたら襟のところにタグと “ タタミ” の札。もう着ることもないのでビニール袋を破くのは憚れましたが、令和の時代にはええもんがあるじゃないですか。

スマホの画像ツールの “消しゴムマジック” を使えばこの通り

随分と、便利な世の中になったもんだ。

だけどね心の奥に眠ってる物は絶対消えないんだぞ。

この画像はしっかりとアイキャッチ画像で使ってますがね。

『オールバッカス物語』連載開始のお知らせ

赤パン33ドットコムのカテゴリー 「オールバッカス物語」 にて、  

『水大ラグビー部の伝説』の続編となる  

新シリーズ『オールバッカス物語』 の連載を始めました。

物語の舞台は昭和55年。  

社会人として築地に立ったあの日から、  

勝鬨橋の朝、魚河岸の匂い、  

そして“あの六月”へと続く顛末を、  

毎週少しずつ綴っていく予定です。

昭和の風と潮の匂いが残る時代の記憶を、  

どうぞお楽しみください。

元旦、静かに歩き出す

常に、心のどこかで筋トレの準備ができている。 

そんな自分が、ひらやすみのサントラをポチった。 
これで、家のどこにいても“あの空気”に帰れる。

サントラを流しながら、昨年を思い返す。 
「水大ラグビー部」をすべてKindleにまとめられた一年だった。 
あの50年前の空気を、少しでも言葉にできたなら、それで十分だ。

大晦日は家族四人で焼肉を囲んだ。 
昼寝をして、ゆっくり向き合う時間が増えた。 
今年は、家族をいちばん大事にする。 
行かなくていい場所には、もう行かない。

書斎はまだないけれど、片付いたリビングでひらやすみを見ている。 
何度見ても飽きない。 
アコースティックギターとピアノの「つ、つ、つ、つ、つうつ…」を口ずさみながら、 
ひらやすみが生活の真ん中に溶けていく。

元旦の朝は、静かに始めたい。 
今年の自分に、無理をさせないように。 
家の時間を大切にしながら、ゆっくり歩いていく。

🐾 24時間働きますか?

このところ、どうにもこうにも  

オールバッカス(全酒神) のことばかり考えてしまう。

昭和から平成へと時代が切り替わったあの頃、  

私はちょうど三十歳。  

社会も街も人の価値観も、全部が熱を帯びていた。

バブルは沸騰し、  

「24時間働きますか?」なんてCMが本気で流れていた時代。  

結婚したらマンション買って、車も買って、  

そんな“幸せのテンプレ”を誰もが信じていた。

それでも私は、  

日曜日になると河川敷へ戻っていった。

草ラグビーに熱中し、  

試合が終われば銭湯に寄って、  

そのまま何軒もハシゴして、  

いろんな世界の話を聞くのが楽しくて仕方なかった。

あの頃の私は、  

仕事の世界とバッカスの世界、  

二つの人生を同時に生きていたような気がする。

そして今、  

その記憶がまた勝手に動き出している。

朝から妙にテンションが高いのは、  

妄想が止まらないからだろう。

でも、こういう朝があってもいい。  

むしろ、こういう朝こそが“生きている証拠”だ。

🌉 勝鬨橋を渡る“帰り道の風景” 

仕事を終えて勝鬨橋に差しかかると、  

潮風とともに一日の疲れがふっと抜けていく。  

橋の上は、朝とはまるで別の顔をしていた。  

朝は戦場へ向かう通路だったのに、帰りはどこか“解放の道”になる。

晴海通りの左側には、大きな酒屋が歩道にせり出すように立ち飲みスペースを構えている。  

夕暮れどきになると、作業服のままの男たちがコップ酒を手に、  

今日の魚河岸のセリの話やら冷凍マグロ船の入札の愚痴なんかを交わしている。  

その奥の細い路地には、小料理屋やスナックが肩を寄せ合うように並び、  

暖簾の隙間から漏れる灯りが、働き終えた身体をそっと誘ってくる。

晴海通りの右側には小さな公園があり、  

その隣にはバラック建ての煮込み屋と寿司屋があった。  

寿司屋の名前は――確か「おたべ寿司」。  

どれも今の高層ビル群からは想像もつかないほど、  

のどかで、ゆるやかで、  

“昭和の東京の余白”がまだ残っていた。

勝鬨橋を渡るたびに、  

「今日もなんとかやり切ったな」  

そんな気持ちが胸の奥にじんわり広がっていく。  

街の灯りが、働く若者をそっと包み込んでくれるような時代だった。

あの頃の勝鬨橋は、働く若者の背中をそっと押してくれるような場所だった。
今の風景を眺めるたびに、あの夕暮れの匂いを探してしまう。

🌿  ゾウさんのメモアプリ

ゾウさんマークのメモアプリを、  

WEB記事をクリッピングしたり、  

カテゴリ分けしたフォルダーにメモを分類したりするのが小気味よくて、  

ずっと使っていました。

ところが最近は、Kindle本をつくる時に、  

構想メモや原稿の断片を“思いついた瞬間に書き込む”ことが多くなって、  

もっぱら MacBook に付属の「メモ」を使うようになりました。

Kindle本づくりが一段落したので、  

シンプルなメモの中身をゾウさんのアプリに整理しようとしたのですが、  

どうも使い始めのころのサクサク感がない。  

おまけに機能面でも物足りない。

それでもプレミアム会員になって年払いで使ってきましたが、  

このところ値上げが続いて、  

なかなかのお値段になってきました。

年末といういいタイミングでもあるので、  

ゾウさんとはお別れすることにしました。

ゾウさん、いままでありがとうね。  

ちょっと寂しい。

🌿 2つのドメインの年末大そうじ

気がつけば、gengen33.com と akapan33.com、ふたつのドメインを持っている爺ィになっていた。

思えば、Windows95が出てきた頃だ。  

それまで“高嶺の花”だったパソコンが、ようやく手の届くところに降りてきて、夢中になって触り倒した。

40歳になる少し前、勢いのままホームページを作って、 “魚河岸情報局”なんて名前をつけて情報発信していた。  

その流れで取ったのが gengen33.com。

一方の akapan33.com は、33歳でラグビーを引退したのに、40歳前にまた戻ってきてしまった勢いで作ったもの。  

身体が覚えていることは、どうにもならない。

ここ数年は Kindle に夢中で、この2つのドメインはすっかり冬眠していた。

昨日は丸一日あいていたので、久しぶりに gengen33.com の棚卸しをしてみた。

WordPress の操作をすっかり忘れていて、思い出すのに時間がかかる。

でも、使っていない筋肉をゆっくり動かすような、あの“モタモタ感”が悪くない。  

身体もウェブも、急に動かすと壊れる。  

ゆっくりでいい。

今日は akapan33.com のほうをいじってみるつもりだ。

年末の大そうじ。  

いや、  

G(爺ィ)の徘徊ついでの人生の棚卸しかもしれない。

🪵 G(爺ィ)の徘徊について

気がつけば、朝のこと、昔のこと、ラグビーのこと、ちょっとした気づきや、どうでもいいような独り言をあちこち歩きながら拾っている自分がいます。

これまでは「妄想」という名前の棚に置いていましたが、
最近の文章はどうも、頭の中だけではなく、
足で歩きながら拾ってきた“徘徊の言葉”に近いようです。

目的もなく、寄り道しながら、
気になったものをそっと拾ってくる。
そんな歩き方のほうが、今の自分にはしっくりきます。

というわけで、次の記事から
この棚の名前を 「G(爺ィ)の徘徊」 とします。

過去の記事はそのまま残します。
あの頃の“わざとらしさ”も含めて、
裏庭の地層として静かに置いておきたいからです。

これからも、徘徊しながら拾った言葉を
ぽつりぽつりと置いていきます。