場外編 その1:胃袋の地図 ― 築地の食と店の記憶

築地場外は、働く人間の胃袋を支える“街の台所”だった。

東都水ビルの裏口から一歩出ると、そこには毎日のように通った店々が並んでいた。

”外がし” は、老夫婦が切り盛りする静かな名店だった。

昼は十食ほどの仕込みで、なくなれば暖簾をしまう。

中落ちが出る日は即完売。

秋には松茸ご飯が湯気を立て、場外の喧騒を忘れさせた。

魚河岸を去る少し前、体調を崩して入院していた間に、おいちゃんは亡くなった。

あの店の灯りは、築地の生活の一部だった。

”多け乃” は、船のブリッジのような二階席と、

下へ向かって声を落とす伝声管がある独特の造りだった。

「焼き物追加で」と筒に声を入れると、

厨房から「了解」と返ってくる。

市場の男たちの夜を支える店だった。

”天竹” は、晴海通りの門の向かいに大きな看板を掲げていた。

芝居小屋のような外観で、場外のランドマークだった。

主人は波除さんに“ありったけの小銭”を入れる人で、

その話を当時、やはり波除さんにいつも行っていたうちの社長が誇らしげに語っていた。

”ふじの” は市場の喧騒をそのまま飲み込むような中華で、

“幸軒” は場外の生活の温度をそのまま器にしたような優しい味だった。

この二つが築地の中華の両翼だった。

外がし、多け乃、天竹、ふじの、幸軒。

どの店も、ただの飲食店ではなく、

その時の自分の気分や生活のリズムと結びついた場所だった。

“場外編 その1:胃袋の地図 ― 築地の食と店の記憶” への2件の返信

  1. ええなぁ、各店の様子や店の人となりが伝わってくる。
    あわよくば、全ての店の話が欲しかったです。
    中華の2点のは特にな!
    でも、この文章はプロやで!

  2. お褒めを頂き光栄です。
    50歳の時に、魚河岸小僧を辞めてから波除さん界隈から足が遠のいています。
    暖かくなったら、平日の昼下がりにぶらりと行って食レポ書きますね。

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