群れの先頭を、悠然と

検索をした時に上位の5番目くらいまでに入らないとそのサイトはアクセスされないですよね。

私は還暦過ぎてプレーしてる赤パンラガーなんですが、「赤パン」と検索しても巣鴨の下着屋さんや著名通販サイトが出てきて私のWEBサイトは出てきません。

けれども「赤パン33」で検索すると私のWEBサイトが上位を独占するのです。今のところその恩恵に預かることは全くないのですが、群れの先頭を泳ぐことはとても重要だと思います。

私は50歳まで30年近く原料マグロのブローカーをしておりましたが、冷凍マグロ漁船の入札で落札したり一船買いで買い付けして、水揚げに立ち会うと漁獲物には漁期と漁場別に色分けしてテープを尻尾のところのロープに付けてあるのです。

マグロはコロっと太ったものが脂(あぶら)がのっていてトロの部分が多いのでセリにかけると高値がつきます。ですから海水温が低いところにいて、産卵前にたくさん餌を食べているマグロはいいのです。

岸壁で水揚げの時に魚倉からクレーンで吊り上げてトラックに積み込むときに大雑把に脂のありそうなマグロを選別して積み込むこともありますが、同じ色のテープのマグロをランダムに市場に出荷して一本づつセリにかけるとキロ単価数千円から数百円まで一本づつ値段が違うんですよ。

要は群れの先頭をいつも泳いでるマグロは、当時は「アニキ」と云ってましたが、餌も最初にたくさん食べているのでますます元気になってセリでも高値のつくいいマグロになるのです。

私はラグビーは大学生の時に始めて3回くらい引退・再デビューを繰り返しておりますが、最後くらいは群れの先頭を悠然と泳ぐ「アニキ」になりたいと思っているのです。

大島のこと(イントロ)

昨日は三宅島のことを書いたから、今日は大島のことを思い出している。

三宅島は、中学を卒業する時に家族が引っ越し、
私は全寮制の高校に入ったので、
思い出といえば夏休みと年末年始の記憶が中心だ。

大島には、小学校2年生から中学を卒業するまで住んでいた。
だから、あの島の記憶はもっと濃い。
残念ながら卒業してから一度も行っていないが、
いつか必ず訪れたい場所だ。
これからの俳徊地としても、何度も登場するだろう。

昨年12月中旬まで、ずっと下関の大学生活を kindle本にまとめていた。
今いちばん行きたいのは下関。
その次に行きたいのが、大島だ。

G(爺ィ)が徘徊したい場所は、まだまだたくさんある。

三宅島一周

朝、ふっと目が覚めたときに、  

三宅島を一周した正月のことを思い出した。

独身の頃は、毎年のように三宅島の実家へ帰省していた。  

30歳の正月、何か記念になることをしたくて、  

思いつきで島を一周してみようと思ったのだ。

三宅島は、伊豆七島の中で大島と八丈島のあいだにある島。  

お椀を伏せたような丸い形で、  

海沿いに集落が点々と続き、  

それらをつなぐ一周30kmの道路がある。  

右に走り出せば、左から帰ってくる——  

そんな単純で、気持ちのいい島だ。

朝8時に出発して、  

帰ってきたら風呂に入って、  

大学ラグビー選手権の準決勝をのんびり観よう。  

そんな算段だったから、あれは1月2日だったのだろう。

高校時代は運動が嫌いだった。  

けれど三年間の寮生活で、体力はいつの間にか人並みに戻り、  

大学ではラグビーを始めた。  

一年生の夏休みには、もっと走れるようになりたくて、  

朝は右へ3km、夕方は左へ3km、  

毎日コツコツ走っていた。

社会人になってからも、  

日曜日はクラブチームでラグビー。  

出張がない日は、夕方に走るか、ジムで泳いでいた。

そんな生活だったから、  

30歳の三宅島一周も“軽く3時間くらいだろう”と踏んでいた。  

ところが準備不足の思いつきランは甘くなく、  

最後の数キロは脚が動かず、  

立ち止まり、歩き、また走り、  

ヘロヘロになって家に戻った。

風呂に入っていたら、  

もう大学ラグビー準決勝の第一試合が始まっていた。  

予定は大幅に狂ったが、  

それもまた、あの頃の自分らしい。

思いついたらすぐ動いてしまう性癖は、  

あれから40年近く経った今も、  

どうやら治っていない。

今朝ふとよみがえった、  

30歳の正月の記憶。  

懐かしくて、少しだけ胸が温かくなった。

記憶も整理

昨日は、1日がかりで押し入れの整理をした。
ホコリをたくさん吸いこんでしまって大変だったけれど、
思い切って中のものを全部出してみた。

プレイステーション初期型、ゲームキューブとそのソフト類。
玄箱などの外付けハードディスク。
家族のアルバム、レーザーディスク(マドンナのライブもあった)。
着なくなった衣類、息子に買ってあげた電子ブロック……。

どれも今は使わなくなったり、着なくなったりしたものばかり。
それでも結局、あまり捨てることができず、
そっと元の場所に戻すことになった。

思い出はちゃんと心の中に置いてあるから、
しっかり整理しようと思っているのに、
なかなか手放せないものだなあ。

初競り

1月5日といえば初競り。

50歳でサカナの仕事を辞めるまでは、買い付けで地方に行かないと毎朝、築地市場でセリ場に立っていた。 
ただカカシみたいに立っていたわけじゃない。 
築地場外の業者としてセリ帽(監札)も持ち、冷凍マグロを出荷してセリにかけたり、 
切身(弁当給食用)やネギトロの原料になるマグロ(単価は安いけれど)を、 
片手で颯爽とセリ落としていた。

今は豊洲に移転したけれど、初セリは30年近く見てきた。 
バブル絶頂の頃には、セリ上がって、セリ値10万円(キロ単価)になった本鮪が出たこともある。

あれからもう20年近く経つんだなあ。 
もう初セリの場に立つことはないけれど、 
行けなくても、心の奥にしっかり眠っているものって、 
たくさんあるんだ。

復元されるのは映像か、俺か

試合でキレキレに動いていた頃のVHSビデオを、動画ファイルに変換したものがある。 
20代の自分が映っていて、セピア色の映像がなんとも言えない哀愁を帯びている。

それはそれで素敵なのだけれど、 
最新の動画復元ソフトで蘇らせたら、どれだけ鮮やかになるのか。 
その瞬間を、この目で確かめたくなった。

というわけで、動画編集ソフトをポチッとした。 
ただしこれはWindows専用。 
いままでMacしか使ってこなかった自分には、まさにドロ縄だ。

ガイドブックも付いてくるらしいが、 
作業用フォルダをMacとWinで連動させる必要がある。 
朝から退化気味の前頭葉をフル回転させなきゃならない。

あーあ、今日も前頭葉の筋トレでクタクタだよ。

草ラグビーの練習も今年から再開したいのに、 
身体のウォームアップをする時間がない。

でもまあ、これはこれで、 
ちょっと嬉しい贅沢な悩みだ。

楽若備(ラグビー)だもん

家族は出かけて、ひとり留守番。
年末から外に出ず、ずっと魚河岸小僧だった頃の記憶の海を泳いでいる。

高校3年生の体育でラグビーに出会ったのが18歳。
今年68歳になる自分が、70歳以上の草ラグビーのチームの予備軍として、
コロナ以降にサボっていた活動を再開しようとしている。

熱中したり、飽きて放置したり。
それでも50年も関わり続けているのだから、不思議なものだ。

楽しい時も、苦しい時も、受け入れていくよ。

だってだって、楽若備(ラグビー)だもん。

消しゴムマジック

今、夢中になって昭和55年に大学を卒業して、築地で働き出した時のことを、思い出しながら物語りを紡いでいます。

今年から、かなり時間も取れるようになつたので、去年仕上げたシリーズ物「水大ラグビー部」の第2弾にしたいのです。

今回は、WEBサイトで連載しようとせっせと準備してますが、記事一覧に表示されるタイトルの脇の画像に拘っちゃって早速使ってみました。当時の試合用のジャージをクリーンニングして、保存してあるものが押入れの中にあったんですわ。これはええと、使おうとしたら襟のところにタグと “ タタミ” の札。もう着ることもないのでビニール袋を破くのは憚れましたが、令和の時代にはええもんがあるじゃないですか。

スマホの画像ツールの “消しゴムマジック” を使えばこの通り

随分と、便利な世の中になったもんだ。

だけどね心の奥に眠ってる物は絶対消えないんだぞ。

この画像はしっかりとアイキャッチ画像で使ってますがね。

元旦、静かに歩き出す

常に、心のどこかで筋トレの準備ができている。 

そんな自分が、ひらやすみのサントラをポチった。 
これで、家のどこにいても“あの空気”に帰れる。

サントラを流しながら、昨年を思い返す。 
「水大ラグビー部」をすべてKindleにまとめられた一年だった。 
あの50年前の空気を、少しでも言葉にできたなら、それで十分だ。

大晦日は家族四人で焼肉を囲んだ。 
昼寝をして、ゆっくり向き合う時間が増えた。 
今年は、家族をいちばん大事にする。 
行かなくていい場所には、もう行かない。

書斎はまだないけれど、片付いたリビングでひらやすみを見ている。 
何度見ても飽きない。 
アコースティックギターとピアノの「つ、つ、つ、つ、つうつ…」を口ずさみながら、 
ひらやすみが生活の真ん中に溶けていく。

元旦の朝は、静かに始めたい。 
今年の自分に、無理をさせないように。 
家の時間を大切にしながら、ゆっくり歩いていく。

🐾 24時間働きますか?

このところ、どうにもこうにも  

オールバッカス(全酒神) のことばかり考えてしまう。

昭和から平成へと時代が切り替わったあの頃、  

私はちょうど三十歳。  

社会も街も人の価値観も、全部が熱を帯びていた。

バブルは沸騰し、  

「24時間働きますか?」なんてCMが本気で流れていた時代。  

結婚したらマンション買って、車も買って、  

そんな“幸せのテンプレ”を誰もが信じていた。

それでも私は、  

日曜日になると河川敷へ戻っていった。

草ラグビーに熱中し、  

試合が終われば銭湯に寄って、  

そのまま何軒もハシゴして、  

いろんな世界の話を聞くのが楽しくて仕方なかった。

あの頃の私は、  

仕事の世界とバッカスの世界、  

二つの人生を同時に生きていたような気がする。

そして今、  

その記憶がまた勝手に動き出している。

朝から妙にテンションが高いのは、  

妄想が止まらないからだろう。

でも、こういう朝があってもいい。  

むしろ、こういう朝こそが“生きている証拠”だ。