新カテゴリ『青春の地層』を追加しました。

先日公開した「誕生編」をきっかけに、
新しいカテゴリ『青春の地層』を立ち上げました。

これまで徘徊シリーズの中で、
ふとした拍子にこぼれ落ちていた “あの頃の断片” を、
ひとつの棚にまとめていくためのカテゴリです。

南砂町の原風景、伊豆大島での小学校時代、
中学の剣道、寮生活、青春の匂いが残る出来事など、
人生の地層を少しずつ掘り起こしていきます。

徘徊と同じく、順番はバラバラです。
思い出したところから、気の向くままに。

その積み重ねが、やがて “地層” になるはずです。

どうぞ気長にお付き合いください。

三日坊主って、悪いことなんでしょうか。

私は昔から、面白いことがあるとすぐに夢中になる。
学生時代のラグビーでも、
「ボールを持ったらとにかく突っ込む」
というのが自分のモットーだった。

ラグビーは、集散を限りなく繰り返す競技だ。
だからこのモットーは、意外と理にかなっている。

振り返ると、人生も同じだった。
何かに熱中して、飽きて、別のことに夢中になって、
またいつの間にか元に戻っている。
ずっとその繰り返しだ。

そして今日も、砂場で何かを作ったり壊したりして遊んでいる。

三日坊主は悪徳じゃなくて、
どうやら私の自然なリズムらしい。
それでいいのだと思う。

誕生編 〜『青春の地層』の入口として〜

昭和33年の春、私は築地産院で生まれた。

南砂町の都営アパートから、母はバスに揺られて築地まで通っていたという。

いま思えば、あの頃の南砂町は“世界の原風景”だった。

アパートの前には運河が流れ、

その向こうには大きな工場が煙を上げていた。

明治通りにはチンチン電車が走り、

裏手には貨物線がひっそりと延びていた。

線路脇にはタンポポが群れ咲き、

つくしがにょきりと顔を出していた。

風呂のないアパートで、銭湯が日常だった。

母に連れられて入る女湯。

風呂上がりに飲むピンク色やオレンジ色のジュース。

あの甘さは、いまでも胸の奥にふっと灯る。

大学を出て水産商社に入り、

配達で南砂町を再び訪れたとき、

運河は埋め立てられ、工場は宅配センターに変わっていた。

街はすっかり姿を変えていたが、

貨物線だけは昔のまま、静かに残っていた。

あの線路を見るたびに思う。

自分の“青春の地層”は、ここから始まったのだと。

今日から、この原風景を入口にして、

少しずつ、自分の地層を掘り起こしていこうと思う。

もうすぐ黄色パンツ(イエローオーシャン)

つい最近、還暦を迎えた(時間の流れは速い)。
なのに――よせばいいのに赤パンラグビーを始めた。
それまでは「走ってりゃそのうち何とかなるだろ」と思っていたし、

ケアなんて一度も真面目にやってこなかった。

ところが現実は残酷だ。

勇んで練習や試合に参加したものの、身体は蝋人形のように動かない。

20代に痛めた左膝はズタボロで、リハビリに三年近くかかった。

今でも全力疾走や正座はできない。

「こりゃ筋トレやランニングのあとにアイシングせなあかんぜよ」

と、ようやく気づいて Amazon でアイシングできるサポーターをポチッと注文した。

すげー泥縄。

ほんま、いまさら何よ。

ついでに、ポチッとした勢いで

妙にグッとくる雑誌の表紙を見つけてしまい、

それも一緒に買ってしまった。

ホームページやブログで、

すげ〜ツマラン文章を垂れ流すようになって二十数年。

自分勝手でテキトーな文体は、もう変わらないと諦めている。

それでも、こんな表紙に惹かれてしまうあたり、

これぞ究極の “いまさら何よ” なのかもしれない。

部屋回り

大学の寮には、よく「部屋回り」というものがあった。

今ならケータイで危険を察知して回避できるし、

そもそも寮は個室が当たり前だろう。

私が学生だった頃――かれこれ半世紀前――は、

4人部屋で、その“災難”は日常茶飯事だった。

寮内では、部屋単位や運動部単位で酒盛りが頻繁に行われ、

覇気のある先輩方が度胸試しに、

寝静まった寮生の部屋へ突然やって来る。

そして、直立不動の「自己紹介」。

夜中に叩き起こされ、声を張り上げる。

今思えば、あれも妙な儀式だった。

私は2年生の終わりに寮を出て下宿したので、

その後は「部屋回り」とは縁が切れた。

だが今となっては、いい思い出だし、

自分を磨く鍛錬場でもあったのだと思う。

まあ、今これをやったら、

一発でコンプラ違反だろうけれど。

昼休みの腕立て伏せ 

高校は男子だけの全寮制だった。

大食堂で全学年が三度の食事を一緒にとる光景は、

今思い返しても圧巻だ。

昼休みも全員で一斉に食べ、

先生たちも同じテーブルに並ぶ。

食事が終わると、校舎の屋上や校庭へ、

三々五々散っていく。

中庭でソフトボールをする集団。

屋上で昼寝をする集団。

ラグビー部はラインアウトの練習。

それぞれが、それぞれの場所で時間を過ごしていた。

私は剣道部だった。

一学年上のキャプテンは、昼休みになると一年生を屋上に集め、

腕立て伏せと腹筋を黙々とやらせていた。

キャプテンが片手腕立てを軽々とこなす姿を見て、

「自分も絶対できるようになりたい」

と純粋に思い、毎日熱心に筋トレを続けていた。

その姿を見ていた、剣道部ではない一年生たちが、

「食後に運動しても消化に悪いし、効果ないだろ」

と、遠回しに批判してくることがよくあった。

真剣に何かに取り組んでいると、

必ず横から茶々を入れてくる人がいる。

変わったことをしようとすると、

引きずり戻そうとする空気がある。

あの感じが、どうにも苦手だった。

でも、どうすることもできなかった。

ただ、黙って腕立てを続けるしかなかった。

今思えば、

世の中には思い通りにならないことの方が多いこと、

“普通に振る舞う”というのが実は一番難しいこと、

そういうことを最初に身につけたのが、

あの全寮制の高校だったのだと思う。

あの頃の息苦しさも、

今では少しだけ、ありがたく感じている。

俺も男だ !!

唐突に、中学時代の記憶が浮かんだ。

森田健作さんが青春ドラマで演じていた剣道男子に憧れて、

地元の警察官がボランティアで教えてくれるという流れに乗って、

私は剣道を始めた。

そのまま高校でも剣道部に入ったが、

中学の終わりに少し触れただけの私は、

町道場で鍛えられ、中学大会で名を馳せていた連中には追いつけなかった。

結局、補欠のまま終わった。

大学に入る頃にはラグビーに夢中になり、

親に買ってもらった防具も、

寮に持って行ったものの質屋に預けて流してしまった。

高校時代の剣道部には、正直ほろ苦い記憶しかない。

けれど、一つ上の先輩がよく言っていた

「苦しいときこそメチャクチャ頑張れ」

という言葉だけは、今でも胸の奥に残っている。

あれは、私にとっての priceless な一言だ。

七転八倒して、いまだに起き上がれないままのような気もする。

それでも、どこかでその状態を少し楽しんでいる自分がいる。

きっと、あの頃の“俺も男だ”という気負いが、

今の私のどこかに、まだ静かに息をしているのだろう。

わっぱの話は尽きない

昨日の話を書いたあと、

過去記事を眺めていたら、反射的にポチしていた。

そして今朝、もう届いた。

これはもう、密集にすぐ駆けつける右フランカーの動きそのもの。

生活の密集に飛び込んで、

ちゃんと“わっぱ”というボールを持って帰ってきた。

前に使っていた漆塗りのわっぱは、

「すぐ洗う・すぐ乾かす」を怠ったせいで、

縁の塗料が剥げたところにカビが生えてしまい、

泣く泣く手放した。

だから今回は、白木のものを選んだ。

食べ終えたら、さっと水洗いして、

すぐに水分を拭き取るつもりだ。

身体も、そして“ちょっといいモノ”も、

使いっぱなしにせず、ちゃんとケアしていく。

それが爺ィ流の、ささやかな日々是幸日。

わっぱ弁当の話

わっぱ弁当というのは、不思議なもので、  

ただご飯を詰めるだけなのに、  

なぜか“ちょっといいモノ”を扱っている気分になる。

木の香り、手触り、  

そしてフタを開けたときの、あの柔らかい空気。  

プラスチックの弁当箱では出ない“余白”がある。

昔、わっぱ弁当に凝って、  

写真を撮ったり、アプリまで作って遊んでいた時期があった。  

今見ると、どれも少し色あせているのに、  

妙に愛おしい。  

あの頃の自分が、そこにちゃんといる。

わっぱは、詰める人の気分がそのまま出る。  

丁寧に詰めてもいいし、  

残り物をポンと入れても、それなりに形になる。  

“ちょっといいモノ”というのは、  

そういう余裕のある道具のことだと思う。

また弁当生活が始まりそうなので、  

久しぶりにわっぱを新調してみるのも悪くない。  

どうせなら、また写真を撮って、  

“わっぱ弁当図鑑”でも復活させてみようか。

やりようで、工夫しだいで、  

楽しみはいつでも戻ってくる。

当時のわっぱ弁当

ためしに昔の記事を探してみたら、  

まるで呼ばれたように、すぐに出てきた。  https://gengen33.com/cho/archives/1150

こういうのを爺ィは「予定調和」と呼んでいる。  

時間の輪が、また静かに閉じた気がした。

300日目の朝は「日々是幸日」

今日から爺ィは週4日のユルいアルバイト生活に突入する。  

いわば“仕事始め”である。

で、いつものようにモーニングノートを書き捨てようとしたら、  

なんと今日が 300日目 だった。  

まさかのジャストミート。  

偶然のようで、どこか予定調和めいた朝である。

こういう日は、  

爺ィとしては 「日々是幸日(ひびこれこうじつ)」 と言いたくなる。  

本来は禅語の「日々是好日」だが、  

爺ィ流に“幸”を当ててみただけの、  

ちょっとした言葉遊びである。  

だが、こういう遊びがしっくり来る朝なのだ。

思えばこのノート、最初はただの妄想ノートだった。  

つらつら書いていたら、いつの間にか300日。  

よく続いたもんだと、我ながら感心する。

最近は、大好きな漫画「ひらやすみ」テイストで、  

まったり過ごすのが爺ィの流儀になってきている。  

今日も「つつつつつうう〜」と口ずさみながら、  

新しい仕事に向かうとしよう。

日々是幸日。  

そんな気分で始まる300日目の朝である。