築地場外は、働く人間の胃袋を支える“街の台所”だった。
東都水ビルの裏口から一歩出ると、そこには毎日のように通った店々が並んでいた。
外がしは、老夫婦が切り盛りする静かな名店だった。
昼は十食ほどの仕込みで、なくなれば暖簾をしまう。
中落ちが出る日は即完売。
秋には松茸ご飯が湯気を立て、場外の喧騒を忘れさせた。
魚河岸を去る少し前、体調を崩して入院していた間に、おいちゃんは亡くなった。
あの店の灯りは、築地の生活の一部だった。
多け乃は、船のブリッジのような二階席と、
下へ向かって声を落とす伝声管がある独特の造りだった。
「焼き物追加で」と筒に声を入れると、
厨房から「了解」と返ってくる。
市場の男たちの夜を支える店だった。
天竹は、晴海通りの門の向かいに大きな看板を掲げていた。
芝居小屋のような外観で、場外のランドマークだった。
主人は波除さんに“ありったけの小銭”を入れる人で、
その話を当時、やはり波除さんにいつも行っていたうちの社長が誇らしげに語っていた。
フジのは市場の喧騒をそのまま飲み込むような中華で、
幸軒は場外の生活の温度をそのまま器にしたような優しい味だった。
この二つが築地の中華の“両翼”だった。
外がし、多け乃、天竹、フジの、幸軒。
どの店も、ただの飲食店ではなく、
その時の自分の気分や生活のリズムと結びついた場所だった。
