コシトラ監督とタツミ主将
2019/07/05
昨日は海洋ラガーの越中島グランドの練習がありませんでした。
その練習のないのんびりとした休日に水産大学校ラグビー部のOB会の会報の中の越川虎吉先生(コシトラ監督)の “退官記念誌” と “追憶” の2冊を読み返しました。
“退官記念誌” はコシトラ監督の学生時代(もちろんラグビー部員だった)からの写真が時系列に掲載されていてそのあとに部員たちのメッセージが掲載されているのです。
裏表紙には目次と私が現役の時の写真が掲載されてます。
我が校のグランドでキックオフでアタックするところなんでしょうか、メンバーが横1列に並んで同期のタツミ主将(背番号12)がキックした直後の写真です。
この記念誌の “部員の一言” の中にタツミ主将のメッセージも掲載されておりました。思わず読み返したら、グッと来ちゃいました、、
ちょうど去年の今頃でした。下関に住んでいた彼(タツミ主将)が実家の大阪にいるお母様が具合が悪いということでお見舞いに行ってそのまま彼自身が下関に戻らぬようになってしまったのです。水産高校の練習船に教官として乗り込みハワイに実習に行き戻る途中だったラグビー部の同期生からインターネットでメッセージがあり慌てて下関在住のラグビー部の先輩のところに電話して葬儀も実家で済んだことを知り非常に落胆したのです。
今年から赤パンラガーで再再々復帰しました。練習で膝がガクガクになり、地下鉄に乗るのに地下への階段を降りるときに手すりにしがみついてヨボヨボしている自分がとても情けなく何でこんなことをやってるんだと思うのです。けれども何とか頑張って、コシトラ監督とタツミ主将や素晴らしき仲間たちとともにやっていたラグビーをまた出来ることにちっぽけですが、爽やかな幸福感を味わっているのです。
“ボールを持ったらとにかく突っ込め!” キツイけど後もう少し頑張りまっす。
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