大学同期のキャプテン
2019/07/05
先週末に大学同期のラグビー部の主将だったT君の訃報が届きました。
彼とは同じクラスでしたので(私は専攻科に行かずに4年で卒業したのですが、)授業も海技実習も乗船実習も遠洋航海実習も合コンのときもいつも一緒でした。
(大学の寮で漁業学科の同期3人 前列は一つ下の後輩)
私は10年前に魚河岸小僧(原料マグロのブローカー)の仕事を辞めて水産界から離れましたが、彼は専攻科を卒業後に大手水産会社に入社し母校の水産大学校の練習船の士官に引き抜かれ、その後乞われて漁業取締船の船長を務めました。
ラグビーも高校時代にオール大阪のウイングに選出され関西の一部リーグに属する大学に進んだ名プレイヤーでした。その後に船乗りになりたくて我が母校に再受験してきたのです。
我が母校では、1年の春のシーズンからウイングでトライを量産して、高校3年の時の体育の授業でラグビーをやり大学からラグビー部に入部してラグビーのスパイクも初めて買った私には雲の上の憧れの存在でした。大学2年の秋のシーズンではフルバックになって、4年生の半数が遠洋航海実習に出かけてしまうため秋のシーズンには戦力ダウンしてしまう我が母校が久々に全国地区対抗大学ラグビーフットボール大会の中国大会に進出する原動力になりました。
(ラグビー部の同期生 大学2年中国大会)
当時も練習や試合の時に、前を走る彼に追いつきフォローすることができずにいましたが、今回も颯爽と駆け抜けていってしまいました。一昨年の10月に下関でラグビー部のOB会があり、T君や仲間と会う機会があったのですが、次回に行けばいいやと行かなかったことが悔やまれてなりません。
ここ数日はかけがえのない親友を失った悲しみで意気消沈しておりましたが気がつきました。失ってしまったと思っていたものは、実はちゃんと自分の中にあったのです。
シーズン中は毎日夕方暗くなるまでボールを使った全体練習をして日が暮れるとスクラムやダミーにぶち当たる練習を延々としました。9月の末に前期の試験が終わり2週間の試験休みもまるっと秋のシーズン前の合宿になり一日中練習になるのが嫌で皆で合宿の食費稼ぎの名目で前半はバイトをすることにしたら、下関漁港で重たい冷凍のクジラ肉の積み込みをやることになりかえってきつかったこともありました。春の北九州インカレの試合のグランドが小倉の時は、試合の帰りに小倉駅の近くの生ビール飲み放題のお店に毎回押し寄せて迷惑がられたこともありました。夏の合宿の時にグランドの土を入れ替えるので使えなくなり萩の民宿に泊まり合宿することになったときは、地元の短大の子たちと仲良くなって、、、
苦しかったことも楽しかったことも、今でも昨日のことにようにしっかり思い出すことができます。
T君、私はモタモタと赤パンはいてもうちょっとラグビーやるから、コシトラさんと酒でも飲んで待っていてください。