昭和六十四年、不安の岸壁

あの冬は、街全体がどこか沈んでいた。

天皇崩御に伴う自粛ムードが広がり、

本来なら正月の主役になるはずの鯛や伊勢海老に値がつかない。

築地の空気は、いつもの喧騒とは違う、

どこか張りつめた静けさに包まれていた。

一月最初の連休のことだった。

私の高校の先輩が監督を務めていた茗渓学園は、

高校ラグビーの花園決勝で大工大附属と対戦するはずだった。

しかし試合は中止となり、両校優勝という異例の決着になった。

あの花園が、あの決勝が、

“行われない”という事実が、

昭和という時代の重さを象徴しているように思えた。

テレビは一日中、沈んだトーンの番組ばかりだった。

どの局も同じ色調で、

街の空気と同じように、

画面からも静かな哀しみが流れていた。

築地の正門近くに眠る「原爆マグロ」の記憶が、

この時期だけはいつもより強く胸に迫ってきた。

時代の節目というものは、

目に見えないのに、確かに身体に重さを残す。

あの冬、私は三十歳だった。

昭和三十三年三月三日生まれ。

数字が並ぶその誕生日は、子どもの頃からどこか特別に感じていたが、

昭和が終わり、新しい元号が始まると聞いたとき、

ふと「三年後には三十三歳になるのか」と思った。

昭和三十三年生まれの自分が、新しい時代の三年目に三十三歳になる。

そんな偶然に、妙に感心したのを覚えている。

街は自粛ムードに包まれ、

テレビは一日中沈んだトーンの番組ばかりだった。

花園の決勝も中止になり、両校優勝という異例の決着。

築地の鯛や伊勢海老に値がつかないという現実と、

自分の年齢の数字遊びのような感慨が、

同じ冬の空気の中で静かに同居していた。

時代が大きく動くとき、

人はなぜか自分の“数字”を見つめ直す。

あのときの私は、

昭和という時代と自分の人生の“折り目”を、

潮風の中でぼんやりと感じていた。

仕事を終えた夕方、

静寂が戻った岸壁を撫でる潮風は、

どこかセピア色の余韻を運んでいた。

昭和が静かに幕を閉じていく気配が、

市場の隅々にまで染み込んでいた。

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