雨の日の砦が完成した日

朝から雨だった。

外の世界がゆっくり閉じていく気配があって、今日はもう外に出なくてもいいと身体が先に決めていた。

新しいソファチェアは、思った以上に“ゆりかご”だった。

もう一つの椅子に脚を乗せると、膝を軽く曲げ伸ばしできて、身体が勝手に休む方向へ傾いていく。

左ヒザが少し疼くのも、むしろ心地よい。

立ちっぱなしの仕事を辞めてから痙攣がなくなり、身体の現在地が静かに変わっていくのがわかる。

シフトが固定されずに、平日の休日や遅番で朝が自由にできる日もあって、

小机の光、ソファチェアの姿勢、Kindle作業の余韻、ドラマを浴びる時間。

その全部が“内側の風”になっていた。

徘徊は、外の風と内の風が交差したときに深くなるけれど、

今日は内側だけで十分に満ちていた。

雨音、湿度、濡れた土の匂い、傘の内側の静けさ。

歩くかサボるかの“揺れ”まで含めて、雨の日は心の奥底の徘徊にとって最高の舞台装置だ。

雨が強ければ雨宿りしてサボるのもいい。

風の向くまま気の向くまま。

その精神が、今日は自然に身体に宿っていた。

外に出なくても、徘徊は出来るんだ。

雨の日の砦が、今日ひとつ完成した。

🌱 7冊目のモーニングノート

モーニングノートが、気がつけば7冊目になった。

最初に使っていたお気に入りの A4 方眼ノートは、

棚に並ばなくなり、

ダイソーのソフトノートもどんどん薄くなっていく。

この7冊目を書き終えると一周年。

だから次は、コクヨの分厚い A4 ノートに戻ってもいいかもしれない。

もうこの習慣は、死ぬまで続く気がしている。

今月から “note” の小説投稿サイト「Tales」に作品を置き始めた。

3つの作品が、毎日100位以内を徘徊している。

作品も本人も、見事に徘徊の日々だ。

いまは、この“マッタリとした風”を楽しんでいきたい。

もう70も近い。

いきなり大きな瞬発系の動きをすると、

身体中の筋肉が爆裂しちゃうからね。

モーニングノート333日目

外に出かけなくても、徘徊している。

読みたい本も、見たいドラマもたくさんある。

草ラグビーの練習にも、まだ顔を出せていない。

それでも、自分がしようと思っていた生活が

どんどん実現している。

この一週間は本当によかった。

小机を置いて、パソコンを格納するスペースができた。

wowow の『水滸伝』を七話一気見して、

北方ワールドをたっぷり堪能した。

左脚の感覚が戻ってきて、

全力ダッシュもできそうだ。

三国志真戦も Tales で物語にして、

自分の中でこのスマホゲームの占める位置が

はっきりした気がする。

ひらやすみな生活をして、

池波・関高テイストで徘徊して、

北方ワールドの長編小説を書いていこう。

今日は 9 時 10 分前に家を出て、

16 時半には帰宅だ。

帰ってきたら、ゆっくり風呂に入って、

冷たい缶ビールでも飲むかな。

オールバッカス物語のタイトル変えました

いつもはコーヒー豆を挽き、

ドリップしているティーポットに日本茶を落とし、

そのまま飲んでいた。

昨晩、WOWOWで北方水滸伝を一話から四話まで観た余韻を抱えたまま、

ふと、今手掛けている「オールバッカス物語」のタイトルを

変えたくなった。

こんな時に、いつも心の底から聞こえてくる声がある。

この声は、だいたい正しい。

だから従う。

全酒神(オールバッカス)。

その名が、今日の空気にしっくり馴染んだ。

昨日の続きで後半部、そして最終話を観る前に、

この気配だけは残しておきたくて、

ここに置いておく。

「白パンツ無頼控え」0話が生まれた砦

押し入れを片付けていたら、

古いノートがひょいと顔を出した。

1997年のインクの色は、

いまの光の下でも妙に生々しくて、

ページをめくるたびに、

あの頃の身体の匂いがふっと立ち上がる。

ああ、これはもう、

白パンツ無頼控えの“0話”になるしかない。

そんな確信が、

台所の椅子に腰を下ろした瞬間に降りてきた。

ノートの中の自分は、

不器用で、熱くて、

いま読むとちょっと笑ってしまうほど真っ直ぐだ。

でも、その真っ直ぐさが、

いまの自分にはやけに眩しい。

夕方のバイトまでの時間、

壁一面の本棚を整理していた。

バブル絶頂期の日記も、

お気に入りだった日刊メルマガの要約も、

ぜんぶ残っている。

どれを開いても、

当時の自分がムダに燃やしていた熱が

紙の向こうからじんわり伝わってくる。

創作に大半の時間を使えるようになった“今”だからこそ、

こいつらがギンギラギンに輝きだしたのだろう。

残るべきして残ったものたち。

そんな気がしてならない。

書斎がないことを、

このところ少し悔やんでいた。

けれど、日中のリビングも和室も、

誰もいなくて静かで、

風がよく通る。

ミニマムニストも悪くないが、

どうやら私は、

この雑多な和室の本棚と、

リビングのテーブルの周りが好きらしい。

ここが、いまの私の

<砦>

なのだ。

0話が生まれたのも、

この砦があったからだろう。

徘徊して、片づけて、

ふと立ち止まった場所に、

物語の入口が落ちていた。

今日もまた、

そんな一日だった。

🌅 ひらやすみな一人親方 (gengen33)

今朝は、アルバイトの給与明細がメールで届いていたので、

まずプリントして家族に配布。

そんな小さな家事から一日が始まった。

ふと思う。

植木屋さん、大工の棟梁、火消し……

昔から“ひとりで仕事場を持つ人”たちは、

みんな自分の手で暮らしをつくってきた。

朝起きて、

その日の仕事をして、

家族を支え、

夕方に身体をほぐし、

夜に自分の時間を持つ。

この“普通”が、実はとても豊かで、静かで、強い。

気づけば自分の生活も、だんだんその形になってきた。

バイトで生活の基盤を支え、

家計を整え、

身体を整え、

工房で作品を積み上げ、

note で発信し、

WEBで展示し、

Kindleで本にする。

これってもう、

創作の一人親方 なんだよなぁ、としみじみ思う。

今日も、ひらやすみに、淡々と。

自分のペースで、長く続けていく。

✨ げんげんから始まった

ー名前の地底に眠っていた物語ー

息子が生まれた日、

看護師さんがふと呼んだ「げんげん」。

家族や周りの人たちが自然に使い始め、

幼い頃の呼び名として定着した。

やがて成長し、本名で呼ばれるようになったとき、

「げんげん」は一度、静かに地中へ潜った。

時が流れ、

私がパソコンを手にし、

テレホーダイの夜に初めてチャットを開いたとき、

ハンドルネームとして選んだのは、

やはり「げんげん」だった。

そこから

「ゲンゲン一家の日々」というホームページが生まれ、

gengen33 という名前が私の“屋号”になり、

ドメインにもなった。

そして昨日、

「大川端の創作棟梁」を名乗った瞬間、

その名前の奥に眠っていた

地底の大きな岩のような記憶が

静かに浮かび上がってきた。

すべては、

あの日の「げんげん」から始まっていたのだ。

🏙 WEB小説家「大川端の創作棟梁」

2026年3月22日。

この日、私はひとつの肩書きを名乗る決心をしました。

「大川端の創作棟梁」

明石町の築地産院で生まれ、

築地で30年働き、

隅田川沿いで言葉を磨き続けてきた私にとって、

この肩書きは“ようやく辿り着いた本籍地”のようなものです。

午前中は Kindle 制作の仕上げ。

午後は創作都市の構造化。

そして夕方、

Gengen33工房の屋号と肩書きが一本の線でつながりました。

  • 生まれた場所
  • 働いた場所
  • 歩いてきた川沿いの風景
  • そして今の創作

これらが静かに統合され、

「創作棟梁」という名が自然に立ち上がった瞬間でした。

これからは、

隅田川文化の流れの中で、

一冊一冊を手仕事のように仕上げる“棟梁”として、

創作のジオラマをさらに精密に組み上げていきます。

どうぞ、これからの Gengen33工房を

よろしくお願いいたします。

Gengen33工房

大川端の創作棟梁 gengen33

ひらやすみの午後の憩い

20代最後の仕上げのあとに訪れた、ひらやすみの午後**

午前中、スピンオフ版を仕上げて、

そのまま Kindle にファイルをアップした。

20代最後の“あの頃”を、

いまの自分の手でそっと整えて、

ひとつの航海を終えたような気持ちになる。

越中島のグラウンドでは、

イエローオーシャンの試合があって、

桜並木もきっと見頃だったはずなのに、

今日はどうしても身体がそちらへ向かなかった。

そのまま布団に沈み、

気づけば昼寝に落ちていた。

目が覚めて、風呂に入り、

湯上がりの身体に冷蔵庫の缶ビールをあてる。

プシュッと開けて、ひと口。

缶の側面に書かれた文字を、

ぼんやりと眺めていたら、

ふっと胸の奥がゆるんだ。

「陽だまりの散歩道」

「いつかと同じやわらかな風、はじまりの季節。」

ああ、これだ。

これが、今日の“ひらやすみ”だ。

作品を仕上げたあとの静けさ。

行かないことを選んだ午後の余白。

湯上がりの緩み。

缶ビールの冷たさ。

そして、言葉が自然に降りてくる瞬間。

今日のこの流れは、

gengen33.com の地層のひとつとして

そっと置いておきたい。

工房の朝、20代の最後の一冊を仕上げる

20代の頃に書きためていた5冊分の原稿を、ようやくひとつの形にまとめ終えた。

長い時間をかけて磨いてきた革靴の仕上げに、最後のワックスをかけるような感覚だ。

Kindle本づくりは、いつの間にか“工房の仕事”に近くなってきた。

売るためではなく、自分が読みたい本を、自分の手で丁寧につくる。

棚にそっと置いておいて、気に入った人が手に取ってくれたら、それで十分だ。

今日からは、残っていたスピンオフの「遠航日記」を整え直す。

40年以上前の自分が残した日記に、今の自分が静かに手を添える作業。

工房の朝にふさわしい、落ち着いた時間が流れている。

この「遠航日記」は画像が多いので大学ノートサイズ(B5)です。