大川端工房という名前を掲げたのは、 今年の元日のことだった。
けれど、工房そのものはもっと前から、 生活の片隅で静かに息をしていたのだと思う。
魚河岸で過ごした三十年。 その最後の十年は、 市場の匂いと湿度、朝の光と身体の記憶が 深く深く染み込んでいった時間だった。
そして同じ頃、 WEBの世界に足を踏み入れた最初の十年が始まった。 言葉の軽さ、個人発信の自由、 深夜の更新、試行錯誤、反応の手触り。
本来交わらないはずの二つの世界が、 なぜか自分の中では自然に連続していた。
その重なりが、 長いあいだ自分でも気づけなかった“芯”だった。 雪ダルマの中心にある、溶けない固い核のようなもの。
ところがその芯を、 「クドい」「重い」「整理されていない」と 自分で削り、溶かし続けてきた。
いま思えば、それが一番の遠回りだった。
五十で放逐されてからの二十年は、 生活の再構築と、 それでも歩き続ける足音の積み重ねだった。 佃川沿いの風、勝鬨橋の影、 家族の気配、朝の机、辞書の匂い。 それらが静かに地層になっていった。
そして今年、 ようやくその地層が一本の線につながった。
魚河岸の身体の記憶と、WEBの言葉の軽さ。 生活の匂いと都市の風。 放逐後の二十年の静かな歩み。 それらすべてが “大川端工房” という名前に収まった。
このシリーズでは、その地層を淡々と紡いでいく。
- 魚河岸の最後の十年
- WEBの最初の十年
- 放逐後の二十年
- ゲンゲン一家の日々
- 第二幕(薫風)の朝の光
- 大川端の風景
そして工房の誕生まで。
生活と創作が同じ速度で歩く、 そんな静かな物語になると思う。
大川端工房は、 私自身の“芯”をようやく見つけた場所だ。
ここから、第二幕が始まる。
